自堕落Everyday

楽しく生きてます。

日記251日目

12/20 00:21

仕事から帰ってきて10thライブ(MOIW2015)1日目の映像を観ていた。このライブの原由実さんとしての風花が好きなのである。アイドルマスターの、四条貴音としての風花ではない。貴音さんはステージ上ではあそこまでの葛藤は見せない。貴音さんが自分と戦うのはステージに立つ前だろう。ステージに上がれば自分の歌を完璧に歌ってみせるのが四条貴音であると断言する。そしてその姿を模写した原由実さんは7thライブで既に披露していると思う。あれは完璧な風花であり、完璧に四条貴音がシンクロしていた。10thライブはそうではない。その7thを越えよう越えようという想いが溢れ出ている。過去の自分を意識している。過去の自分と戦っている。それは原さん本人もコメンタリー等で語っている。アイドルマスターのライブでありながら、四条貴音なら決して見せない姿を原さんは見せたのだ。それはある意味どこまでいっても演者は演者でしかないということかもしれない。だが、逆にそういったものがキャラクターの新しい姿として影響していって作られてきたアイドルマスターというコンテンツを体現したパフォーマンスだったと思う。アイドルマスターというコンテンツはそうやって広がっていっただろうし、アイドル達はそうやって成長し、肉付けされ、個性を獲得して、それに僕らは魅せられてきた。あの風花はアイドルマスターの歴史の証明であり、新たな四条貴音の発見でもあると思う。だから僕が冒頭で言っていることは大きな矛盾があり、原由実としての風花というのは、アイドルマスターとしての風花だし、四条貴音の風花なのである。演者さんはキャラクターにより命を与えてくれるし、リアリティを与えてくれるし、人生を与えてくれるのである。だから僕らはアイドルマスターのライブを観てしまうのだ。だから僕らはアイドルマスターに魅せられてしまうのだ。今日、改めてそれを思い知った。

 

今日のご飯

朝:ハッピーターン

昼:ウィダーインゼリー

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